【内容】
祝辞
作品写真図版
印譜 (48点)傅嘉儀、熊伯斉、玉村齋山、小林斗庵、丸山楽雲、鈴木知秋、稲村龍谷ほか
七十年をふりかえって 作家肖像写真
出品目録
野崎嶽南 略歴
現在
【祝辞より】一部紹介 長崎県知事 高田勇
このたび、「書業五十年野崎嶽南の世界」記念展が盛大に開催されますことを、心からお喜び申し上げます。
書道は、高い品格と豊かな人間性を培う伝統文化として、古くから多くの人々に愛好され、発展してまいりました。
心の豊かさを求める気運がとみに高まりをみせている今日、生活に生きがいと潤いを与えてくれる芸術として、書道の持つ意義は極めて大きなものがあります。
野崎嶽南先生におかれましては、半世紀?にわたる書業を通じて本県芸術文化の普及発展に寄与された功績は誠に多大であり、平成四年度に県教育委員会表彰、平成六年度には県民表彰の栄に耀かれております。さらに全国を舞台として御活躍になられるばかりか、書道発祥の地である中国への度重なる訪問を通じ、日中両国の文化交流と友好親善にも大きな足跡を残しておられます。
先生には、古稀のお喜びを申し上げますとともに、このように、様々な形で本県の文化振興に御尽力をいただいておりますことに対し、心から敬意を表する次第であります。(以下略)
【作家あとがきより】一部紹介
七十年をふりかえって
幼少の頃から、ものを書くということには興味がありました。墨すりから草紙に思い切り書く書き方の時間、写生に外に出た楽しい図画の時間、出来事や考えを書く綴り方の時間等、小学生の頃のなつかしい憶い出として蘇ってきます。
私の青春は昭和?の前期、暗雲の時勢の中で生きてきました。戦時色が高まり、校門から営門に突っ走らなければならない時代?でした。それでも、いつも心の中には美しい美の世界がありました。そのお守りとして持って行ったのは、一冊の書道史の本でした。
終戦で復員して教職に身を置きながらも、何か一つ心の支えになるものをと考えたのがやはり書の道でありました。下手の横好きの類でありますが、それでも好きこそものの上手なれと願い、本格的に取り組みました。
しかし何かと不便な田舎での独学は遅々として進まず、はがゆい思いをしていた時、東京芸術大学で文部省と共催の、半年間にわたる長期書道講習会が開かれるというニュースでした。これぞと思ったものの私には三つの難関がありました。第一は既に奉職中故、長期の出張?が許されるか。第二は全国規模の中でテストに合格(受講許可)できるか。第三は費用はどうするか。この問題解決のため、止むなく初回は見送り、一年後の昭和?ニ十四年に受講し、無事修了することができました。私はこの講習で開眼したといってもよいでしょう。
以来、伝統書を基礎にしながら、新しい書これからの書の進み方を模索するようになりました。現代?書を志向するには、古典に精通しなければなりません。書のルーツは中国であります。拓本を開くたびに原石をこの目で見たくなり、中国へのあこがれが最高潮に達した頃、書道の翼訪中国が結成されました。師の計らいでその一員に加えさせて頂き、昭和?五十ー年三月初めて中国大陸を踏みしめた時の感動は、生涯忘れ得ぬものとなりました。その後十数回の訪中を重ねるに及び、大陸の風土、悠久の歴史、それに暖かい人情の機微にふれて書の原点がつかめたように思います。(後略)
【出品目録より】一部紹介 本紙寸法、形式、釈文・寸言
想念七態 唯・心・念・想・坐・愚・恵
如意十題 吾・谷・只・嶽・今・仁・花・如・仙・品
寿無涯 寿涯無しいつまでも。
人生 川の流れのように。
いのち いのちあるかぎり。
童心 山のお寺の鐘がなる。
従心 従心(論語)心のままに。
鎮魂 鎮魂みたまよ安らかに。
心 明?鏡止水(荘子)なりたきものは。
生涯 誦月吟華 生涯の心の友、それは月と華。
出会いI 一期一會(茶湯一会集)一度きりの出会い。
飛龍 在天I飛龍在天。(易経)
行者 百里を行く者は九十里を半ばとす。(争坐位稿)
蝉時雨 原爆忌祈る頭上に蝉時雨。(自詠)
出会いⅡ 一期一會。(茶湯一会集)
心正 思無邪(詩経)純真な感情。
恩恵 無尽蔵 自然の恵み。
風と雨 五風十雨(論衡)順調。
飛龍在天Ⅱ 飛龍在天。(易経)
無為 無為(老子)あるがままに。
ジュ 寿 いのちながし。
マイ 舞 姿態の妙。
無一物 無一物(禅語)無一物中無盡蔵。
老松 心老松心風雪に耐えて。
飛龍 飛龍 龍は舞う。
無事 無事今日も無事、そしてあしたも…。
エン 炎 燃えさかる炎。
清?逸 清?逸 清?らかに。
心不競 心不競 平常心。
ふるさとの山 ふるさとの山にむかひていふことなしふるさとの山はありがたきかな。(石川啄木)
竹里館 独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明?月来相照。(王維)
黄鶴樓 故人西辞黄鶴樓、烟花三月下揚州、孤帆遠影碧空尽、惟見長江天際流。(李白)
峨眉山月歌 峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流、夜発清?溪向三峡、思君不見下渝州。(李白)
彫琢復朴(荘子)虚飾や偽善を捨て、人間本来の自然 彫琢復木さに帰る。
唯心 唯心 ただ心のままに。
龍虎 雲龍風虎(易経)龍雲を呼び、虎風を呼ぶ。
人生 七凹八凸 自由自在。
四苦 生老病死 波乱万丈の人生。
臨古 大盂鼎。
【野崎嶽南】
本名 正人(まさと)。
大正14年(1925)長崎県諫早市に生まれる。上田桑鳩、宇野雪村に師事。昭和?39年(1964)長崎奎星会結成昭和?48年(1973)毎日書道展審査会員となる。昭和?60年(1985)、諫早市文化功労表彰、平成8年(1996)地域文化功労、文部大臣表彰。平成11年(1999)長崎新聞文化章受章。平成22年(2010)歿
飛龍会会長、全日本書道連盟評議員、毎日書道展名誉会員、奎星会顧問、玄美社社人西部書作家協会副会長・兼理事長。
【年譜】
西暦(元?号)月 年齢 事項(ここでは一部紹介)
一九二五 諫早市に生まれる。(本名正人)
一九四二 中村春堂先生の通信指導をうける。
一九四五 終戦により復員。諫早市小野高等実業青年学校に奉職。書の本格的研究を始める。
一九四九 文部省・東京芸術大学共催の長期書道講習受講。書の現代?性を追究する。
一九五一 上田桑鳩先生に師事。
一九五二 第四回毎日書道展初入選。以後秀作賞、毎日賞、依嘱
一九五六 第一回長崎県展知事賞。以後無鑑査、審査員等。
一九五八 宇野雪村先生に師事。
一九六一 アメリカ、シアトル市における「日本書道展」に出品。第一回個展。(以後一〇回)
一九六二 奎星会同人・審査員推挙、(以降毎年鑑審査)
書道研究のための月報「信楽庵」発行。一四二号(四九年三月)まで続く
毎日書道展依嘱。審査会員
一九六四 高野山創設一一五十〇年奉賛展に「飛龍」を出品奉納。長崎奎星会結成。代?表に推される。同会第一回展開催。(以後、毎年開催)
一九七二 長崎奎星会を発展的に解消し、「飛龍会」と改称
一九七四 書道研究誌「飛龍」創刊。十二月号現在二六一号。
一九七六 日本書道家日中友好の翼訪中団の一員として訪中。(以後十七回)
教職を辞し、書に専念す。
長崎新聞社主催「長崎県書展」創設に参画。常任委員・議長を経て現在副会長。
長崎県立美術博物館へ「龍」寄贈。
一九八〇 東大寺昭和?大納経の一部謹写奉納。
一九八二 成田山大塔建立記念献書。
一九八四 飛龍会創立二〇周年記念誌発行。
一九八五 「書業四〇年野崎嶽南展」開催。
一九八七 第一回毎日書道西部七人展出品。以後毎年出品。
一九九一 岡山県奈義町美術館へ作品寄贈。
一九九四 平成の書家一一〇〇人展出品。寄贈(愛知県春日井市道風記念館)。
一九九五 広島県熊野町、筆の里工房へ寄贈。(玄美鑑展出品作)